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古地図で歩く松本城下町開催
2016年04月20日
平成28年4月16日、春の穏やかな日差しの下、
スタッフ含め、総勢59名で
「古地図で歩く松本城下町」が開催されました。
松本駅前広場の播隆上人(ばんりゅうしょうにん)像へ、
8時より集まりだした参加者は、
4つの班に分かれ、順次出発。
松本駅東口前広場の播隆上人像
古地図を手に、史跡を一つ一つ巡ると、
思いもかけないところに、城下町の名残が見受けられます。
特に松本城下町は四方の出入り口に十王堂があることを
現地で確認すると、城下町というエリアを実感することができます。
西の十王堂は分銅町の公民館横に、小さな地蔵堂として
歴史の痕跡をとどめています。
また、外堀の復元予定地では、
その範囲の広さに改めて驚いていました。
さらに、埋め立てた堀の土地は、幕末の士族の末裔が株主となっっている
斉産土地利用株式会社の所有であること、
徐々に立ち退きは始まっているものの、まだ多くの住宅や店舗が残っていることなど、
この事業が歴史的大事業であることを目の当たりにし、「これは平成維新だ。」と、
感想を述べていました。
外堀復元予定地(立木手前)
松本城の復元は、天守を中心に城郭の史跡を
幕末の時点まで再現することを目標としています。
現時点では計画されていないようですが、
松本城にとって、真っ先に復元すべき重要な史跡があります。
若宮八幡跡です。
内堀の北西、二の丸の角地にあたるこの場所は、
堀へ岬のようにセリ出ていることからも
異質な景観を作っています。
ここは深志城時代の城主、島立右近貞永の遺体が埋葬された場所と伝えられ、
歴代城主からも神聖な場所として、江戸時代を通じて保護されてきた
松本城の鎮守、今風に言えばパワースポットなのです!
岬のように内堀にせり出た若宮八幡跡
現在は案内板もなく、まったく忘れ去られた状態になっています。
しかし、明治までここに社殿がありました。
その社殿は、現在近くの松本神社に移されています。
松本神社境内の若宮八幡社
大正8年(1919)に遷宮されたこの社殿を、
元の位置に遷宮しなおすことは、
外堀の復元ほど難しい話ではないでしょう。
城下町の北部は武家屋敷の密集地でした。
ここに高橋家住宅があります。
現在、土・日・祝日は一般開放されていますので、
住宅の中を見学することができました。
管理人さんがいて、誰でも無料で中に入ることができます。
高橋家住宅内
古い町は、車の交通に支障が多く、これをマイナスにとらえがちです。
特に城下町は敵の侵入を防ぐ意味から、
細い道をわざわざ折り曲げたり、交差点での直進を妨げる構造になっています。
これに一方通行が加わると、もう車による移動はかなり制限されてしまいます。
しかし、逆に歩くと昔の風情を感じることができます。
袋町の鍵の手は江戸時代の道形が、そのまま残っています。
このような史跡を歩くことも城下町を巡る楽しみの一つです。
袋町の鍵の手
各班の案内人はそれぞれ工夫を凝らし、
参加者の皆さんに半日の城下町めぐりを楽しんでいただきました。
松本城下町の史跡には、案内板もよく掲示され、
また公衆便所や歩道の整備もされています。
案内人が一人いれば、松本城下町は宝の山です。
街歩きを楽しむ文化を育んでいきたいものです。
NPO法人善光寺街道歩き旅推進局
理事長 小瀬佳彦
投稿者:善光寺街道歩き旅推進局